HOME

 

「九州大学21世紀プログラム集中講義を終えて」

 

橋本努

20050118

(九州大学21世紀プログラム課程http://21cp.rc.kyushu-u.ac.jp/HPへの寄稿+追加的考察)

 

 

 

 一日三コマの集中講義、ということで、私は前もって三つのネタを仕込んでおいた。ところが予定は未定である。その前の晩に21世紀プログラムの学生たちと飲みに行く機会があって、私はそのときに閃いたアイディアを、翌日の第一講義で話してしまったのであった。題して「自己否定社会から自己肯定社会へ」。まだ荒削りの内容ではあったが、そのときの私は、このテーマにひどく没入してしまい、おかけでかなりスリルのある授業になったように思う。完璧に準備された授業よりも、その場でアドリブをいれていくような授業のほうが、やはり面白い。飲み会に参加していただいた学生たちには、この場を借りて感謝したい。

 午後の講義では、できるだけグループ討論に時間を割いて、学生たちには社会革命家ないし社会改良家の観点から、とりわけ大学改革について論じてもらった。私も自分なりに大胆な大学改革案を提示したつもりであるが、学生たちの発想はさらに柔らかく、そして説得的であった。また、講義から約一ヶ月後にレポートを提出していただいたわけであるが、どの学生のレポートもすばらしく、ある種の感動を覚えたほどである。もしこれらのレポートをネット上で公開することができれば、このプログラムのすばらしさを多くの人々に分かっていただけるだろう。

 21世紀プログラムの学生たちが、これからどのような人生を歩むことになるのか、私も楽しみである。私の得た感触では、このプログラムは、いろいろな意味で成功している。まず、学生全体の資質として、男性・女性ともに、オジサン受け・オバサン受けするような「愛らしさ」があって、そしてその愛らしさが、大学の教員から多くを引き出すことに資している(学生全体の約八割が女性であるというのは、選ぶ側にオジサン男性教員が多いからであろう。)言いかえれば、学生たちは、教員の側から飲みに誘いたくなるような、あるいはもっと教えたくなるような、豊かな資質を備えているのである。学生たちはすでに、若くして人生の修羅場をくぐり抜けてきたのだろうか、あるいは、いままさに修羅場をくぐり抜けようとしているのだろうか。彼・彼女たちには共通して、人生体験の強度を重視するような姿勢がある。しかもすでに、物怖じせずに大人たちと会話する術を身につけている。なるほどこういう学生たちは、大学生になってから伸びるような気がする。

もう一つ、このプログラムが成功しているのは、一学年20数名程度の学生たちに、「ロッカールーム兼談話室」という、居場所を与えているからではないだろうか。例えば、お昼になると学生たちは、この部屋にお弁当を持ちこんで昼食を共にする。また講義のない時間帯には、学生たちはこの部屋で会話を楽しんでいる。あるいはこの部屋を通じて、先輩と後輩のあいだにコミュニケーションが生まれ、自主的な読書会なども営まれているようである。実に居場所というものが、学生たちのやる気と潜在能力を引き出すことに役立っているのである。こうした施設面でのバックアップは、他大学の運営においても参考になるであろう。

21世紀プログラムは、これからの日本の大学が、教養課程において目指すべき一つの理想像を与えているように思われる。それは、いわゆる教養主義や人格主義といったものではなく、むしろ豊かな会話力と経験量によって、社会に活力を与えていくような人間力の形成である。このプログラムの中から、日本の未来を託すに値する人材がたくさん輩出されるに違いない。

もっとも、私は少々このプログラムに期待しすぎているのかもしれない。しかし、褒めることによって、いっそう潜在力を発揮するような人もいるだろう。そしてそのような祝福された学生たちが、このプログラムに集まっているような気がする。学生たちに自己否定しうる要素があるとすれば、それは「まだ学内において21世紀プログラムの認知度が低い」という贅沢な悩みであるだろう。確かにこのプログラムは、まだ受けるべき称賛を得ていない。学生たちはこれから、このプログラムのすばらしさを自らの表現力で発信していかなければならない。

 最後に、今回の集中講義を振り返ってみると、私は学生に与える以上に、学生から学ぶことができたように思う。講義では、教育の喜びというものが、一瞬のなかに凝縮されたような時間を過ごすことができた。このような機会を作っていただいた九州大学の諸先生方、とりわけ施光恒先生、佐々木喜美代さん、そして参加された学生たちに、改めて感謝したい。また同じような機会があれば、私はお金を払ってでも講義したいと思っている。

 

 今回の経験を通じて、私はどの大学においても、次のようなプログラムを比較的簡単に実行できるのではないかと思った。21世紀プログラムの類似の試みとして、私のアイディアを書き記しておきたい。

 

     通常の入試を経て入学した学生の中から、すぐれた人々を選抜して、特別のプログラムを追加的に実践する。

     選抜は、成績優秀者、授業で発言力と独創性を発揮した学生、英検や経済学検定試験などの各種検定試験ですぐれた成績を取得した者、他学部科目を多く履修している学生、NPOなどで活動している学生、等など、さまざまな基準の複合によって、約20名を選び出す。

     選抜された学生たちを「実験生」と呼ぶ。

     一定の基準に達すれば、誰でも実験生になれるようにして、その都度の追加募集をしていく。また、すべての学生が「実験生」となれるように、施設と設備を拡張していく。

     実験生は、居場所となる特別の部屋を与えられ、そこで学生主体の読書会を運営することが義務づけられる。読書会への参加は、すべての学生に開かれたものとする。

     実験生は、学生生活の理想や、社会経験談などについてレポートを書き、それをホームページで公開する。

     実験生は、大学における講義の評価において、他の学生よりも3倍程度の重みをもつことができる。また、講義改善要求をすることができる。

     実験生は、留学において優先権を与えられる。

     実験生は、学部横断的な交流をするための、さまざまな機会を与えられる。

     実験生は、さまざまな社会活動・社会経験をするためのプログラムを与えられる。

     実験生は、教員たちとパーティ形式で会話を楽しむ機会を多く与えられる。

などなど。

 

以上のようなことを、私は考えてみた。